テシゴトノアルジンセイ

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最近、とても深く考え、深く欲する事がある。それは、手の事、仕事の事、働くという事についてだ。 手の心、それを人は掌(タナゴコロ)という。僕は手を使った仕事をしている。しかし、ただ手を使っている、というわけにはいかない。それはあくまで手段であるはずで、やはり心で、仕事というものはなされて来たのではなかっただろうか。僕は、優しい両の手の平(掌)が欲しいと想う。強く想う。果たして真実の優しい掌とはなんなのか。それについて最近よく考えさせられる …

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どうしてボクではだめなのか

樹樹樹

「浅き川も 深く渡れ」 これは、星野道夫さん(1952〜1996)が小学生の時に卒業文集に寄せた言葉だ。彼は生涯、アラスカに身を添えた“人間”だ。一度、星野さんの文章を読んでみて欲しい。まるでつららを優しく叩いて奏でたような、慎重さと寛大さを感じさせる温かい音たちを聴くことができる、そういったタイプの文章だ。そもそも生きるとはなんなのか。そういったものを深く考えるには十分なだけの心の平静を得れる。 「人生はからくりに満ちている。日々の暮 …

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koko Mänty 2012

日の出

新年明けましておめでとうございます。 2011年、(あらゆるところで繰り返されてきたと思いますが)思い返してみると、本当にいろいろなことがありました。当然日常として起こりうることを日々更新し、そして、ボクらは非日常を日常として過ごすこととなりました。実際的には、ボクの経験したことなど、その渦中にあった人々からすれば取るに足らないことなのかもしれない、しかし、普段及ばぬ思考がそこには確実に生まれたのでした。 今、ボクは背面に2012年初め …

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アルバチョフ・リー

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師走に入り、もう半月がすぎました。もうじきkoko Mäntyも一周年(12/24)を迎えます。多くの方々に助けられました。本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします。 一人でやって行くということは、日々、明日の不安というものがつきまとうものでした。しかし、いざ明日が今日になってみると、とても充実した時間が僕の記憶を占めています。かつてないほどに僕は生きたのかもしれません。この一年は記念碑的光を纏ったように、淡く境目も曖 …

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YMC-僕は、彼の写真を見ていると

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日々、日常が繰り返されて行って、その前後を見失って、何処に生きているのか、今の今、それを感じ損なってしまうような、そういった不安が、まるでじわじわと短くなって行く日照時間と平行して、さらけ出された手先の冷えのように、曖昧に、しかし確実に、襲ってくる。とはいえ、一方では燻る炎が今か今かと次の薪を取り込もうとしている。 ぼうっとしていると、日々は駆け去ってしまう。日常そのものをルーティンと化すような振る舞いはやはり思い返す限り、記憶に留めら …

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