koko Mänty 2012

新年明けましておめでとうございます。

2011年、(あらゆるところで繰り返されてきたと思いますが)思い返してみると、本当にいろいろなことがありました。当然日常として起こりうることを日々更新し、そして、ボクらは非日常を日常として過ごすこととなりました。実際的には、ボクの経験したことなど、その渦中にあった人々からすれば取るに足らないことなのかもしれない、しかし、普段及ばぬ思考がそこには確実に生まれたのでした。

今、ボクは背面に2012年初めての夕日を浴びながら電車の中でこの日記的記録を打ち込んでいます。日付が一日更新されたに過ぎないのに、ボクらはそれをあたかも盛大に感じることができ、そして、実際僕は今このカラコロと鳴りだしそうな優しい黄金色に何か特別なものを感じずにはいられません。2012年元旦、何かが始まりそうで胸がうきうき躍る、そういった新年の魔法を浴びながら、今日は少し2011年について書きます。

まず、ホームページのトップページが更新されました。このイラストと言葉はきくちゆみこ氏の「漂流する」の一節より抜粋させていただきました。これも2011年に生まれたものです。ボクの関われるものの中だけでもあらゆるものが日々、毎分、毎秒生まれています。光、風、匂い、記憶、歓喜、中傷、ひらめき、生命。あらゆるものが生まれ、そして、失われて行く。「漂流する」もその流れの一つ、一環です。確かきくち氏がアメリカ滞在中にある町のあるモーテルで生んだものだと記憶します。そういったモノゴト誕生の物語は、人知れず生まれ、埋もれて行きます。しかし、人は伝えゆくことができる。過小評価でもなく、過大評価でもなくkoko Mänty (kissa)もまた世界の中で生まれ、埋もれて行くものの一つです。世界にとっては確かに小さな出来事でも、ボクにとってはとても素敵な出来事でした。明日を生きるための今日であり、今である。それをとことん味わうには十分でした。つまりそれは、たくさんの人たちの繋がりがあり、助けがあり、笑顔があり、挨拶がある、そういったものの中でまさしく生かされてるという事実を今一度感じることができたのです。そういう風に関わり生きることが「伝える」ということでもあるのではないでしょうか。感謝です。ありがとうございます。その始まりの日が、2010年12月24日。そうです、おかげさまでkoko Mänty (kissa)は1周年を迎えることができました。本当に感謝です。この一年、確かに生きることができた。これはかなり幸せだぞと感じずにはいられません。特にこの一年はそれをより一層強いものにしました。

オープン一年目で経験した3.11の大震災。あらゆる捉え方があると思います。ボクがどうしても囚われてしまったのは、それは「役割」でした。一体自分のしていることはなんなのか?今ボクがすべきことはなんなのか?ボクは必要なのか?そんなことをその日悶々と、グルグルと彷徨っていました。次の日、まるで宿題かのように出した当面の解答としては「繋がり」でした。正直なところ自分でも少し模範解答的なキレイゴトのようにも感じました。それではまるで社会のシステムに呑まれているような気もしたからです。しかし、今でもボクは「繋がり」を意識しています。以前にもこのブログで書かせていただいた「スマイルトラヴェル」。そういった想いがふつふつと湧き、ボクの心に定着し始めています。それが決して正しいというわけではない。でも、それでもボクは気持ちよいと言える生き方をしたい。人々と笑顔を共有し、少しでも前に、未来に運んで行く。そういう「役割」をボクは担いたいと思ったのです。

確かに、美容師という仕事は、文化があり、社会があり、ゆとりがあるからこそ成り立つ生業なのかもしれない。しかし、どんな世界であろうとも、人物がどうかということがまず第一であって、仕事とは機会であり、一つの方法にすぎないのではないでしょうか。成重松樹としてできること、それがまさしくkoko Mänty(松樹サイズ)なのです。でかくて強い人間。ふと思い出す高校生の頃のボクの目標です。

長々とボク個人の決意みたいなものを書かせていただきました。2012年も松樹サイズで張り切って行きます。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

それと、1周年を記念してkoko Mänty通信(仮:YÆLE case of koko Mänty)なるものを発刊させていただく予定です。また時期が来ましたらお知らせさせていただきます。

何度も言うようですが、今年もよろしくお願いいたします。

koko Mänty (kissa)       成重 松樹

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