2011年も11月に入りました。いかにもだけど、やはり早いなあと言うのが率直なものです。koko Mäntyももうじき一周年を迎えます。これは間違いなく皆様のお陰です。ありがとうございます。 過ぎ行く日々のなかで、とても多くのことがありました。個人的にも、世界的にもです。この記憶、思い出たちはいつか2011年のものとしてある程度一括りにされてしまうでしょう。そう言った意味では、あらゆることが、忘れ去られた記憶たちもが、特別であったという … →
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車たちがぐんぐん走って、少しずつ辺りを埃っぽく幻想的に包む。走り去る音が、過去から未来へと続き、現在が一瞬のうちに置き去りにされてしまうような雑音、騒音、そして爽快で愉快なダンスミュージックのようですらある。そこには走馬灯的エッセンスがあって、ほぼ同時的に順番にあらゆる希望や記憶が身体を巡る。 そう言ったものが秋にはあるように、僕は思うのです。 さて、この秋冬、前髪を思い切ってしまうというのはいかがでしょうか?夏は暑く、髪をバッサリ切っ … →
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朝、少し物静かで、光が柔らかく、空気はとても薄く触れそうで触れない布地に抱かれて、辺りを以前にあったとてもいい思い出のように感じさせる。どん底のような物憂いをはらみながら、そして何よりの可能性を感じさせる。そういうような秋がしっかりとやってきました。 気がついてみると、blogをはじめて早一年が過ぎていました(ありがとう、深遠J)。そこで今回はこの一年で撮りためた『赤』をただ無意味に並べてみます。本当に理由はありません。光の統一性も無視 … →
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いつも見ていた景色、光だけど、やはり僕は生きてきて、太陽も生きてきて、あの頃と全く同じにはならない。ただ、さざ波の音だけが、僕の心を優しく撫でるのは、変わらないように感じた。 先日いただいた夏休みで、地元の九州は大分県に帰省しました。今回のblogは散文的にその日々の空と人々を掲載させていただきます。 羽田ー大分間の雲の上。いろんな形、早さ、濃さの雲があって、この雲海がただの水蒸気だなんてとても信じられない。 サメみたい。 この日、九州 … →
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通り過ぎようとする夏。もうすでにそのいくつかは通り過ぎて行ったのかもしれない。それは毎年毎年飽きもせずに繰り返されていく。その中で、僕らは生きている。その中に絶景を見出しながら。 僕らは、いつだって自然の織り成す光やリズムに、酔いしれ、感嘆の息を漏らし、時には絶望すら感じてしまう。僕の手にも及ばないと嫉妬する間もないほどに。 しかし、自然は何も着飾っているわけではない。ただあるだけ、ただそこにあるのだ。つまりは、それに感情を震わす僕らヒ … →
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