わたしが生きている世界はまるで球体です。8

みなさま、こんにちは。先ずこの挨拶から始めてみると、ああ、自分が今、公共の文章を書こうとしているんだなと、ふと思いました。実際のところはどうだかわかりませんが、その“体”は為したいことがわかります。でも本音のところは、書きたいだけです。恥ずかし気も無くさらさらと、というか(くどいですが、、)、僕は出合いたいのでしょう、僕自身に。

タイトルからも少しはバレているでしょうか?そうこの一年伸ばし伸ばし続けてきたものの続きです。完全に個人的達成に向かっていくブログとなってしまってはいますが、そもそもブログだからね、と自身に甘い言葉をかけてあげて書いてみようと思います。つまり、公共の文章なんかじゃ全然ありません。「だるまさんが転んだ」と言って振り向くと、友達たちは僅かに動いて居はするが、それを指摘するとゲームが面白くなくなってしまうから(僕らはあまりに小さかった)、次の「だるまさんが〜」に向かうような心地と同じです。わりと平静なのです。穏やか。

僕は昔(中学生の頃)、夢中になって「PEZ」というキャラクターの顔がくっついた“ペッ”とラムネを出すお菓子玩具を集めていた。僕は将来の夢までしっかり抱いた。“大人になってもずっと集めて、きっとレアなスノーマンのものとかも手に入れて凄いコレクターになってるんだろうなあ”。思い返せば、メンコも、カードダスも、バッジも、Jリーグミサンガもそうだった。でもPEZはより強くそう思っていた。しかし、結局のところ、興味が無くなった。全くにだ。僕は、早く大人になりたかった。ただ、それと同時に大人の世界が怖かった。部活は3年という周期だから、どこまでも追い込むことはそんなに難しいことではなかった。終わりがあるからだ。でも、果たして“仕事”は、どこまでもどこまでも(何十年も)、僕は続けていくことができるのだろうか。僕はPEZを集めなくなった自身にひどく傷ついてしまったのだ。僕は、僕は、僕は、、

ということで、もうあれから一年も経ってしまったこの旅の記録を(facebookからも、一年前あなたはこうしていました〜、と声を先日かけられた。僕らはフェニックスのモーテルにいた。)、完結させるため、ようやく重い腰を上げることができたのです。これはとても重要なことなのです。どれだけ時間がかかろうとも続けていくことでなんとか自分を許せていけるのかもしれません。そういえば、仕事は全然飽きていません。とても幸せに続けられています。本当に有り難いことです。ありがとうございます。

前フリ長かったので、もうお疲れの方いるかとは思いますが、ダダーと行きますのでよろしくお願いします。ちなみに(長い、、)「わたしが〜球体です。8」は実は2014年の年末に書き始めてはいたのです。なので冒頭は年末の挨拶からなのですが、そのまま掲載します。悪しからず

みなさま、こんにちは。すっかり師走の今日この頃、このままでは5月を引きずったまま2015年を迎えてしまうと、いけないいけないと、旅の最後を一気にいきます。雑ではなく大味として。それでは最後までどうぞよろしくお願いいたします。

2014年5月14日、旅、8日目

まずは妻のロサンゼルスでのお友達アーシュラと例のカフェでモーニング。彼女はシネマトグラファーでUCLAで教えたりもしてるのだ。

この日はゲッティ美術館に、妻の当時の(もちろん今も)友達たちと向かいました。

駐車場からはこれにみんな乗っていきます。

眺め1。

眺め2。

ゲッティはなんの因果か、ヨセミテを撮った、かのアンセル・アダムス、そして、我らが杉本博司氏の展示でした。先の冬以来、雨が2度ほどしか降っていない、とアーシュラが言っていたとおり(もう五月なのに!!?)どこにも水が流れるべき場所(噴水、池)に水がなかったのでした。アメリカは広い、世界は広い。

きっと当時が懐かしいのでしょう。

ゲッティからダウンタウンの眺望。

この抜けるような陽射しは久しぶりだったよう。

ひょんなことから、ポエトリーリーディングに参加できることに(聴く側)。

さらにひょんなことにUCLAに行けることに。その道すがら。なんだか観たことがある場所たち。

コンビネーションカラー。

UCLA。この日は月がとてもきれいだった。この月を日本でも観ることができることにとても不思議に思った。留学生たちを見ているとなんだか、上京してからの寮生活で、親が仕送ってくれる段ボールを開く、そんな情景が優しく思いだされた。みかんと書かれた段ボールはビニール紐とガムテープでぐるぐるだった。

何日“クチ”を開けたままでも、一向に湿気ない野菜チップスをかじる。時刻はすっかり23:00を過ぎている。朝から出かけて今しがた戻ったところだ。

とにかく今日はラッキーな一日だった。
妻の留学時代の友達たちに会うことができ(妻なしにはもちろん会話なんて出来ないわけだが、スパイク・ジョーンズや、ソフィア・コッポラ、ジム・ジャームッシュ、カメラの話となると何を言っているかほんのりわかるので嬉しい。不思議なものだ)、ゲッティ美術館にも連れて行ってもらった。展示はモニュメントバレーにドンピシャ「アンセル・アダムス」に、ジャパニーズ「杉本博司」。ゲッティからはロサンゼルスを一望できるのだが、最近スモッグがちで全然遠くまで見えなかったらしいが、今日は「So クリア」。ラッキーだ。
そして、アーシュラ(友達の一人)の思わぬお誘いで、UCLAのハマーミュージアムでポエトリーリーディングに参加させてもらえるようになった(もちろん聴く側)。ラッキーだ。図々しくも最前列を確保したのだがその隣の席は、なんと今日一日で4、5回すれ違った白人カップル(ミーガンとウィル)。しかもウィルはフォトグラファーで、カメラで大興奮(あっちが)。
何を言っているのかわからない(もちろん英語なので)詩を聴く(あるいは、感じる)というのは、とても僕に機会を与えてくれた。意味はわからないが、その場の空気は感じることができる。そもそも、声(音)は波なのでそれに触れる耳はもちろん、皮膚もまたその波の中に浸っていることになる。美しいものは美しい波を持っていると僕は思っている。(美しい光や、クラシック音楽は植物を良く育ててくれる。)
その言語の意味がわからなくても、
それはちょうど、ある朝の風が揺さぶる木々の擦れる音、鳥のさえずり、海の音、彼らがそれぞれが何を言っているのかは(今の)僕にはわからないが、その朝を「心地よい」と感じることと同じことのように思うのだ。
最後には夜中のUCLA(大学)を案内してもらった。すごく大きい上に、遅くまで熱心に勉強している学生の多いこと。(その図書館はなんと1922年に建てられたのだとか)
とにかく今日はラッキーというにはもってこいの日だった。(5月14日facebookより抜粋)

2014年5月15日、旅、9日目

この日はゆっくり、ロングビーチに向かい古道具屋へ。軒並みオシャレでなんだか“掘り出す”ことが難しかった。とはいえ、レコードやポストカード、XOマグネットなどを購入。

アンティークダンス。

そして、モーテル周りで自由時間を貰ってお散歩。本当に気持ちいい。なんだか、ずっと夏休みのような余白のある時間が辺りを漂う。アスファルトに撒かれた水の匂い。昼間から車を洗う短パン姿のお父さん。まるで洗車が仕事と言わんばかりの、目撃したわけじゃないけれど、きっと昨日も洗車していたような安心感。

そういえば、夕陽観てないねと、ビーチへ。

|

|

|

今日の天気は晴れ。と、書くまでもなく、ずっと晴れだ。同じ。安定。一貫。とにかくこの街には、先の冬以来2度程しか雨は降っていないらしい。

そういえばまだ観ていなかった、ビーチでのサンセット。20:00になっても空は明るいままで、とても色調豊かなグラデーション。なにより陽気な人々。この海ではカモメすら心を解放しているようだ。(いや、元々閉ざしているのは僕らの方かもしれない。)
妻の住んでいた街。家、学校、マーケット、ラーメン屋、友達、海、風、陽射し。
僕の元々の気質か、この街の成分か、特段歓迎されているわけでもないが、決してよそよそしさもない。ここには肩の凝らない生活があるようだ。だからといって、決してそのことに嫉妬するようなことは今の僕にはない。
“そういう風に生きたいのなら、そういう風に生きれば良い”
それがこの地が教えてくれたことのような気がする。
東京に、日本に戻ることはそんなに悲しい気がしない。なぜならこの街もあの街もなにも変わらないことを教えてもらったからだ。ただ人々はご飯を食べ、笑い、泣き、怒り。格好をつけたり、意地悪したり、優しかったり。生きているのだと感じることができた。
いつだって、望めば、この街に戻ってくることもできるし、どこにだって行くことができる。きっと僕はまたこの国に戻ってくることがある気がしている。また別の形で。
世界をどのようにみるか。それは完全に自由なのだ。世界は望むように見ることができる。(facebook5月15日より抜粋)

2014年5月16日、旅、10日目最終日




グッドバイ・アメリカ
この頃の初夏の陽気の中、目黒から恵比寿へ三田通りを自転車で駆けていた。とても穏やかだった。耳の辺りを切る風はそんなに気になることもなく、とてもとても穏やかだった。車道を走っていて、ふと反対車線側の歩道を人が歩くのが見えた。車も僅かながら流れている。そして、こちら側の歩道でも赤いTシャツを着た涼し気な50代ぐらいの女性が歩いていた。それにリンクして、小さなお稲荷さんのいくつかの赤い鳥居も僅かに目が捉える。少し自分の中が静かになっていった。車道があり、両側に歩道があり、その外側には民家がある。民家と歩道には堅く塀があり、そこからいろいろな家主の好みの植木がはみ出している。このアスファルトの下にはいつも土がある。さらに静かになっていく。僕は、明日を生きることに、期待だけではなく、不安を感じながら、今を生きている事実を、どうしようもなく突き付けられてしまった。反対車線側の歩道の人も、赤いTシャツの女性も同じことを考えたかもしれない(そうだったらいい)。本当に一瞬ではあったけど、僕は、今確かに、人間の社会の暮らしのことが、頭の殆どを占めていることを突き付けられてしまったのだ。まるで世界には人間の暮らししかないかのような独善感の中に僕はいるのだった。自転車置き場の地面を固めたコンクリートのヒビの間から盛られるように土がこぼれている。うつくしいヒビだ。そこからせっせと出入り激しく蟻がうごめいている。
僕らは、持とうとしてしまう。より多く、もっともっと。ただ、あまりそれが良かったことがないような気がする。より良い武器を、より強い武器を人より多く持つことで訪れるとされる平和は、ホンモノなのだろうか。まるでアブトロニックのようだ。「君の考える平和って何?」と訊かれた。僕はなんと応えればいいのだろうか。世界が、今みえているものだけじゃないことを感じていくことなのかもしれない。例えば、自転車置き場のコンクリートの下に棲むモノたちのことを。
そして、僕は2014年の秋、再びアメリカの大地を踏むことになった。しかし、それはまた別の話。
koko Mänty (kissa)  ~森へ~ 成重松樹 Matsuki Narishige
  • Print
  • Facebook
  • Google Bookmarks
  • RSS
  • Tumblr
  • Twitter