青の南国の名

陽が暮れて、どこか残る蒼白さもいよいよ暗闇に呑み込まれた頃、若い男の一啼き。これほど、夏を感じさせられるとは思いもよらなかった。わたしは室内の網戸越しに、幾分離れたどこかから一直線に飛び込んで来たそれを、ただ受け入れるように聴いた。若い男独特のその声は特に嫌みもなく、ただその場限りの刹那的享楽のようなものを感じさせられた。それが失われた夏の頃の何かを彷彿とさせたのかもしれない。外は穏やかで風の心地よい日だった。

不思議なものでその一啼きは、瞬時に、そしてじわじわと色々なイメージをわたしに届けた。祭りの匂い、賑やかなオレンジ灯(透明な裸電球はちらちらと子供らの影を吸っては吐き出して、まるでイルミネーションのようにオレンジと黒を交互に揺さぶる)、おかしなぐらい色鮮やかな青の南国の名のついたかき氷(こぼれた氷がサンダルの緒のあたりをひやりと濡らし、執拗に纏わりつく砂に悪態をつきながら赤やら黒やらの金魚たち、流れいく色鮮やかなヨーヨーたちについ胸を躍らせてしまう)。そういったものが顔も視ぬ、一人の若い男によってもたらされることもあるのだ。

きっと経験だけがイメージを生むわけではないのでしょうが、経験のミックスはまた新しい物語を生んでくれるようです。人のそういった実体のないところにも“生”を全うするかのような振る舞いはなんだかとても愛おしいものです。子供の頃、眠れずにひたすら生み出し続けた様々な喜劇や悲劇、膨大な想像は時に膨大な経験になるのかもしれません。

ところで、不動前にある目黒不動尊、毎月28日に縁日が催されていることをご存知ですか?朝から夜までやっております。一度お越しの際は楽しんでみてはいかがでしょうか?何処か懐かしい空気が残っていますよ。それではまた。

koko Mänty (kissa)     成重 松樹

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