賑やかな風、どんなに遅くなってもいい、待ち合わせ

お久しぶりです。いつの間にかすっかり、街の樹々の新緑はしっかりとした緑を帯び、風の匂いもどこか賑やかさを感じ取れるようになって来ましたね。次の季節というものは必ず来るのものなのだと予感させてくれます。

鳥が、一鳴きと共に次はどの枝木に止まろうかと、そのタイミングを待つように(それは風なのか、匂いなのか、光か、はたまた他の生命の戯れに起因するのか)、僕は今ある友達を待っています。どんなに遅くなってもいい、そういったタイプの待ち合わせというものがあります。それは天気が決めることなのかもしれません。通り過ぎる電車の音、鳥の囀り、太陽の匂い、緑のざわめき、大小様々なビルヂング、家の窓からの景色はうまく都会と解け合って、いつもの朝を毎日少しずつ違うものにしてくれているようです。それは何処にいても、いつでも、同じことなのかもしれませんね。まったくとしての“同じ”を味合うというのは結構難しいのことなのではないでしょうか。

「生き物本来にそもそも意味などない」

というようなことをナウシカが言っていたのを記憶します。きっとだからこそ“生きている意味”なんていうものは自分でつくって良いということなのかもしれません。それは完全に自由であるということでもありそうです。

どうやら友達が来たようです。足取りはどこかワクワクしている。そう感じます。

暖かい日曜日です。みなさま良い休日を。それではまた。

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