真面目ですよ、美容室ですから。

あまりに久しぶりなブログ更新となってしまったので、どのように文章というのは始めるものだったろうか?なんて、考えてしまっているのですが、なんだかんだと言ってみても、もう始まっているのだから、つづけるだけだね、と誰かが優しく言ったとか、言わなかったとか。ということで、みなさま、ハッピークリスマス。

いま、僕は、ジョナサンにてこのブログを書いています。少し甘すぎるおぜんざいに(少し〜すぎる、だなんて思い切った表現ですね)、ドリンクバーの薄い「本日のコーヒー(グァテマラ)」、ウォークマンからはペットショップボーイズの「バースデイボーイ」が若さに捧げられた良き理解者みたいに流れています。実は、ココマンテュキッサは2015年12月24日(木)に、おかげさまで5周年を迎えることができました。ここまで続けて来られたのも、本当に皆様のおかげです。いつもいつもありがとうございます。2015年は世の中が目紛しく変わって行きました。これまでもそうだったように、新しいことが生まれ、古いことが忘れ去られて行くことでしょう。そしてまた、その新しいことも忘れられてしまうのかもしれません。忘れられる未来。どうやら未来とは思い出すものなのかもしれませんね。

あれは、中学生の頃でしょうか、或いは小学生の高学年の頃かもしれません。九州の夏の陽は長く、その日もまだ赤らむ夕焼けの中、父が仕事から帰ってきました。僕は、部活帰りだったか、夕焼ける我が家の庭で素振りでもしていたでしょうか。父は言いました。「ちょっと手伝え」。え〜、などと言いながら、いざ軽トラに乗り込み向かった先は、我が家の田んぼです。未だに陽の沈まない赤らんだ空気の中で、僕たちは、背の高くなった稲たちを挟んだあぜ道をそれぞれに、父は機械を背負い、僕はその端から伸びるホースを持って、歩きながら農薬を撒きました。とにかく凄い身体に悪い気がして息止めゲームをしていたのを覚えています。作業を終え、父が片付けをしている間、ろくに手伝いもしない僕は、ただ軽トラの荷台で、田んぼの側を通る国道(片側一車線の小さな国道)を淡々と眺めていました。

その時でした。胸がざわざわと、夜が近づきほとんど空気が紫がかっていた影響もあってか、あることを殴られるかのように思い知らされてしまったのです。
あの通り過ぎて行く、無数の、無名の人々の、無数のドラマはなんだ。あの人たちはそれぞれに、これからお家に帰り、ご飯を作り、テレビを見たりしながら、お風呂に入って寝る。子供がいるかもしれない。あの服は先週の休みに買ったものかもしれない。今誰かを怒ったばかりもしれない。とても信じられなかったのです。自分と同じようなことをし、同じような思い出を持っている人が、ただ毎日毎日無数にいるということが、自分がその一部に過ぎないということが。恐ろしかった、自分の関与できない他人の人生が確かにあるということが。そんなに抱えきれないよ!!というのがその時の本音でした。
僕はそれまで、完璧な世界を生きていたように思うのです。本当に完璧なことをずっと、嬉しさ半分で疑っていました。だって、カラーテレビがあって(あんな小さな箱に人が映っている!!?線が繋がっているだけなのに、、)、車があって(子供なので自分で運転できない分余計に、なんて便利なんだ!!?何もしなくても移動できる!)、電話があって(しかも子機ときたら!)、世界第二位の経済大国(当時)で、世界一の長寿国、そして、戦争がどうやらこの国にはまったくないらしい!ということに薄々気付いてしまったのですから。噓みたいにグッドタイミングに生まれたなとずっと思っていました。僕の為に仕込まれた世界なのか、いや、この星は僕を中心で廻っている、とすら考えていたかもしれません。しかし違ったのです。僕はアノニマスな存在だったのです。実はそれが嬉しくて仕方なかった。

僕らはいつの間にか、なんにでも名前をつけてしまうようになってしまいました。まるで、それ自体に意味があるかのように。

もし意識する線がもう少し少なかったら、なんだか、面白くないですか?あの人もその人も僕の一部かもしれない、もちろん、僕もあの人らの一部かもしれない。釘が刺さると痛い、誰かがいなくなると辛い、親と子供が引き裂かれるのは本当に辛い。それは僕やあなたなのかもしれない。世界が透明だったら、どんなふうに見えるだろう。あなたを締めつけていた障害は、社会や人間関係ではなく、その服や、車、或いは、ただのビルの壁に過ぎなかったのかもしれない。この壁がもし透明だったら、僕はどこまでも行けるんだな、行ってもいいんだな、と思うことが(やはり勤め人だった時に)良くありました。ただそれだけなのかもしれない、と。
もう、これからは、最初から見えもしない海の上の線を巡る争いはやめていいのかもしれない。この画面も良く目を凝らせば、“1”と“0”の並びに過ぎないし、この世界だって全部、ただの粒子だ。(すごく投げやり、、)

というようなことを以前(全く個人の)フェイスブックに書いていたので“流用”しました。なんだか、すっとんきょうで堅苦しい“スピ話”みたいで大迷惑なトーンかもしれませんが、南方熊楠も言っていました、この世の中のどの時代のどんなものでさえ、少しでも欠けてしまっていては(粘菌や微生物でさえ)、僕や君は存在しないのだ、と。

これ以上はやめておきましょう。全てはバランスです。均衡。押したり、押されたり、はないちもんめ。

さて、日本では、白の反対は、黒ではなく、赤なのはお気づきですか?確かに!と、僕はオットークンツリ(スイス人男性、12/27まで東京都庭園美術館にて展示中、本当におすすめ)に言われてようやく思い出しました。これまでの僕の周りで起きてきた赤と白のことを。赤は太陽、白は月。今年のクリスマスは38年ぶりの満月の夜だそうです。壮大な時間と、小さな人間たちのドラマ。ここジョナサン目黒店では、幾つもの人生が通り過ぎています。リピートされるペットショップボーイズの「YOU CHOOSE」ももう3回目。

6年目のココマンテュキッサも何卒よろしくお願いいたします。ココマンテュで扱う商品や薬剤も、少しずつ心地のよいものを選んで行ければと考えております。シャンプーや、整髪剤、カラーにヘッドスパ、続けて行くものだからしっかり選んで行きたいという方も多いかと思います。是非ご相談ください。真面目ですよ、美容室ですから。

http://kokomanty.com/archives/2636←前回ブログもお時間あればちょっと立ち寄ってみてください。オーガニック製品のあれこれを、僅かばかり書いてます。

それでは、みなさま、よいクリスマスを。そして、よいお年をお迎えください。

koko Mänty (kissa) ~森から~ 成重松樹  Matsuki Narishige

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