わたしが生きている世界はまるで球体です。5

皆様、こんにちは。すごく、暑い、ですね。僕は、先程買って来たばかりの溶けだしたハーゲンダッツの抹茶に、大人なので迷わず残っていたコーヒーをふんだんにかけて、なんとか自身を騙しているところです。嗚呼、大人だな、と。

旅はようやく5日目。セドナの朝を迎えます。(上記写真は4日目の夕刻)

2014年5月11日、旅、5日目

セドナは日本でもここ10数年で、スピリチュアルな場所、パワースポットとして人気のある場所となっています。この地には“ボルテックス”と言われる凄まじいパワーの出ている場所が数カ所点在しています。実際にその地に生息している植物たちは不思議と幹から渦を巻くように捻れて生えているのです。これはボルテックスの影響だと言われています。その地にはモニュメントバレーでも呼ばれていた“メサ”と言われる一枚岩のような小山があります。そこでの人々に及ぼす影響は様々で、眠くなる人、とにかく元気になる人、頭が痛くなる人、踊り出してしまうほど活力の湧く人。とにかくその時の自身の状態がこれでもかというぐらい表立つようです。

僕はと言うと、ずーっとわくわく状態だったので影響についてはわかりませんでした。。ただとても気持ちが良いということだけは間違いありませんでした。

この日の朝はまずホテルから一番近く、一番小さな10分ほどで登れてしまう“エアポートメサ”から日の出をみることにしました。

あたりは霧に覆われていて、とても不思議で幻想的な、まるで満月の夜のような朝日でした。

メサの頂上では7、8人ぐらいの人々がいて、皆思い思いに、ヨガをしていたり、ただ静かにその瞬間を待つ人々など、とにかく神秘的な空気で満たされていました。そして、その瞬間、たちまちに感嘆の漏れ出す声で、辺りは少し人間らしさを取り戻しました。ここに我々は在るんだな、と。

ホテルからの一枚。すっかり霧が晴れる。

一度ホテルで朝食をとり、目指すはキャセドラルロック。ここもボルテックスの場所で、男性性と女性性の合わさった場所だと言われています。ちなみにエアポートメサは男性性のボルテックス。

これは遠景からのキャセドラルロック。雄大です。

このように登り口は樹々が茂り、少し森のようです。

これは百年に一度咲く花のようです(どこかのブログにて)。

山頂に近づくにつれ、心地の良い風はますます勢いを増し、道も勾配が強くなり、時にクライミングのような壁も現れます。でも、気持ちがよくて仕方がない。普段このような山も登れないような人でも、“つい”登れてしまうのがボルテックスの山の不思議なところの一つです。

気持ちが良いのです。

クライマーはまだ上に行けるでしょうが、ここが一般的な人の辿り着ける山頂なるところからの景色です。

右にぽつんといるのは僕です。

インディアンの神話で良く聞くワタリガラスなのでしょうか?こんなにも高いところで、僕らを迎え入れるかのように舞っていました。彼らには翼があります。僕らにあるものもあります。僕らは同じ世界にいるのだから。

お昼は街中(景観は保ちながらちょっとした観光地のようになっている)に戻り、一旦昼食(タイ料理、ちなみに前日もタイ料理)。その後は有名な建築物でもある教会をみて、夕刻は妻の思い出の地でもある“レッドロッククロッシング”へ。実はここ、キャセドラルロックの麓に流れる小川の辺りを言うのです。こちら側は女性性のエネルギーが高いのだとか。

レッドロッククロッシングからのキャセドラルロックの眺め。

少し森を分け入り(本当に行きたい場所への道がわからず、迷い入るように)、とうとう神秘的な出合いをしてしまいました。


朝、とても冷たい朝。大地は赤くせりあがり、生まれたばかりの風たちが、まるでこの地を洗うように、無遠慮に、ただ流れ続ける生命のために吹いていたように感じたのでした。エアポートメサ。
霧に覆われた稜線から浮かび上がる白い太陽は、まるで月のようで、その場に居合わせた数名の来訪者らは、ただただ感嘆の声を漏らすばかりでした。
その力をもらったからなのか、夕刻時にはこの町に流れる川に向かったのですが、そこで「ダニエル」という不思議な老人と出合うことができました。いろんなお話をしてくれました。ありがたいのは、まったく英語の話せない僕のために妻が同時通訳してくれること、幸福以外の何ものでもない。ありがとう。
そして、ダニエルからは言葉以上の何かも伝えてもらった気もします。
とにかく素晴らしい景色が氾濫するこの地にいると、この景色を知らない両親にいつか観てもらいたいと強い衝動にかられてしまいます(母の日もあってか)。なので皆さん、仕事をください。お尻が辛いこともあったけど、私はすっかり元気です。(5月10日facebookより抜粋)
ここは“ブッダビーチ”と呼ばれる場所。“ダニエル”に案内してもらったダニエルが毎日、日没まで過ごすところ。
彼の目はとにかく、向こう側が覗けてしまうのではないのかというくらい澄んでいて、彼の一言一言がまるで厳かな場で奏でられる特別な楽器のように(それは森や空気と共鳴し)耳に、心に響くのでした。
スイス人で、ベトナム戦争に行ったこと、頭に2度も銃を突きつけられたこと、アフリカに住んでいたこと、ここにはもう20年住んでいること、そしてこのブッダビーチのこと。本当はさっきも行ったとおり、別の場所に行きたかったのだけれども、彼とたまたま森の中で出くわして、この写真の場所に行きたいのだけど?と訪ねたら、
「ここからそこには20分かかるよ、でもブッダビーチという素敵な場所がここから2分のところにある。どうする?」
それがとにかくとても、とっても素敵な響きで僕らの耳に届いたのです。
そこには多くの積み石があり、何か人々がここである種の許しを請うかのような、家族愛や、恋人愛、一点を見つめる眼差しのようなものを感じました。それはとても程よく落ち着いた季節の森の緑のようなイメージです。
そして、僕たちは陽の沈みきる前にダニエルに教えてもらった目的の場所に向かったのです。
写真では不思議とかなり明るく見えますが、このとき既にキャセドラルロックは燃えるように赤く、辺りはかなり暗くなり始めていました。
続く
koko Mänty (kissa) ~森へ~    成重松樹
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