わたしが生きている世界はまるで球体です。7

もうさすがに飽きてきた方もいらっしゃるかとは思いますが、ある少年の頃、カルビーのポテトチップスを食べていて、残り僅かなそれを袋の口を逆さにしてでも食べようと、頭から突っ込むほど勇ましく覗き込むと、油と細かなポテトの破片とともに広がっていたのは銀色の透明な世界でした、不思議でならなかった、そういった感覚がこのあとのロサンゼルスの写真からもあるかもしれませんよ。ということで続けてみます。

2014年5月13日、旅、7日目

まずは早朝のレドンドビーチへ海だ。何故か、(やはりと言うべきか)海をみると還ってきたような心地になる。この街の日差しは強く、ガラスの反射も独立したイメージになる。そしてモーニングへ。ここは妻の学生時代の行きつけの場所だったらしい。思い出の地。僕の知らない記憶。

モーニングからモーテルへの帰り道。

どこもかしこもアメリカなのだ。明るいモーテル・ラマダ。

ロサンゼルスでは助手席で撮影に専念。

妻が過ごしたゆかりの地を案内してもらった。異国なのに繋がっている場所。きっと世界にはそういう場所がたくさんあって不思議に思う。

|

|

|

一体今日は何日だろう。仕事をしていないと日付というものはさして機能しないようだ。昨日の夜からロサンゼルスのレドンドビーチ入りした。

しかし、この「入る」という表現は面白いものだな、と、ふと思う。形も面白い。「入」。まるでフラッグの立ったサーカステントだ。そういえば「人」との違いにひどく困惑してたなぁと思い起こされる(習いたて時分)。
この地は妻が4年間生活していた場所。僕の知らない土地。どんなことを感じ、どんな目でこの世界をみるだろう。どんなふうにみたいか。
モーテルの隣の酒屋の親父が「日本人はめちゃくちゃいいやつだ!」と言って、3セントまけてくれた。どうも昔、ヨコハマタイヤの人たちと友達になってよくしてもらったらしい。こういうふうに時間と人と記憶、果ては伝統やらなんやら、繋がっていくものなのだなあと。過去の日本人ありがとう。(5月13日facebook抜粋)

“いつも”の(だった)中華屋へ夕食と、フォーチュンクッキーを食べに。の前に、隣のランドリーへ。この国では25セント(クォーター)が重宝する。100円並みなのではないか。不思議。洗濯クォーター三枚とかなのだけど、結構安い気もする。

もの語る、この街のひかり。

値段は少しだけ高めだが、とにかくぼボリューミーだ。でも大丈夫なのだ。各お店にはそのお店のロゴまでプリントされたお持ち帰り用の紙パックが用意されている。なんとスープも持ち帰れる(もちろんプラ容器)。残さずに、しかも美味しさを明日にも引きずれる慶び。湿気の少ない街特有のサービスだ。(前日は韓国料理を持ち帰っていたので、モーテルの部屋はだいぶアジアンな香りで包まれていただろう。)この頃には時刻はすっかり19時を過ぎている。この街はいつまでも明るい。

ただいま、おやすみ、また明日。

koko Mänty (kissa) ~森へ~   成重松樹

  • Print
  • Facebook
  • Google Bookmarks
  • RSS
  • Tumblr
  • Twitter