上部写真のように大小様々ながら、気がつけばそこらに石仏が転がるように存在し、人々に愛でられ、あるいは草むらにひっそりと佇むものまで非常に多く見つけることができます。(どこかの文献では日本の90%の石仏が、この国東半島にあるとかないとか、、)
まだ当たり前のように住んでいた頃はそんなことは見向きもしていませんでした。
この辺りには、ゆっくりと悠久の時を感じるのにもってこいの“ものもの”が溢れているようです。平安時代からの荘園がそのままに残っていたり、まるで中国の原風景のようなごつごつとその肌を威厳たっぷりにさらしたトンガリ山を観ることもできます。そういった岩肌にまるごとくっついたような社があったり、そこから眺める里山の景色は、何か置き去りにして来た大切なものを思い出す良いキッカケになったりもしそうです。麓では温泉にもつかることができます。結構な名湯で、室町の頃からのものだったりするそうです。
なんだかすっかりコマーシャルめいてしまいましたね。昨年喜寿を迎えた僕の大好きな祖母が、毎日畑仕事が楽しいと言っていました。今のものを収穫したら、次は落花生を植えると嬉しそうに話してくれました。毎日の暮らしの中に、食物の循環をしっかり感じながら生きるというのは、すっかり遠のいてしまった文化になりつつあります。この次はこれを植える、そしてこれを、、そういった流れはきっと畑を豊かにするだけではなく、多くの智慧を育んで来たのでしょう。昨今その殆どの情報をネットから「ググる」ことで得るのが当たり前になってきました。むしろ調べていないことで怒られることすらあるのではないでしょうか?ウィキにも載らない、今やおじいちゃんや、おばあちゃんだけが知る、例えば春の見つけ方があるかもしれませんね。
人からじっくり話を聴く機会は益々少なく、データ化されていくかもしれません。そんな中、いつも多くの人からお話を聴ける、この“髪を切る仕事”というのは非常に幸せな職のようです。感謝を前に進めていけるように、これからも皆様とともにしっかり生きていきます。新年度の誓いとして。