スマイルトラヴェル

2011年も11月に入りました。いかにもだけど、やはり早いなあと言うのが率直なものです。koko Mäntyももうじき一周年を迎えます。これは間違いなく皆様のお陰です。ありがとうございます。

過ぎ行く日々のなかで、とても多くのことがありました。個人的にも、世界的にもです。この記憶、思い出たちはいつか2011年のものとしてある程度一括りにされてしまうでしょう。そう言った意味では、あらゆることが、忘れ去られた記憶たちもが、特別であったということなのでしょう。日々が特別であると言うことだけは忘れないでいたいです。無駄と思える所作も、何らかの繋がりがあり、所作の連続は行動となり、必ずや結果となる。だからといって恐れる必要もないでしょう、結果もまた所作としての断片にすぎないのですから。

ごちゃごちゃと言ってしまいましたが、言いたいことはこうです。僕は、やるべきこと、できることから、やらなければいけない。もっと動機的に言うと、ただただやりたいのです。むずむずしてしまいます。そう思ってしまうのは、どうもやれていないから。つい何かに蓋をして、時が過ぎるのをじっと待ってしまっているのかもしれません。それは、どこか社会と自分とを切り離し楽な諦観を決め込んでいるように感じてしまいます。何もわかってはいないのに、まるでスノッブ。

しかし、甘えっぱなしのまま一周年を迎えるわけにはいきません。だからと言って、いきなり一個人の力であらゆる政治問題等(TPP、パレスチナ、原発、震災復興等々)を解決できるわけではないのも確かです。ただ、無関心ではないこと。これはかなり重要なのではないかと思うのです。あからさまに思想を持つと言うのは、近代の日本ではある種危険のように扱われてしまいがちですが、その思想と言うのは思いやりのようなものに似ていて、思想のある床掃除と、思想のない床掃除は、えらく違いのある結果が後に訪れると思うのです。

かなり危なっかしことになってきましたが、要するに繋がっていると言うことを忘れないでいたい。きっと日常にあふれた些細なことは多くのことに結果をもたらす。だからこそ信念を持っていたい。

今、目の前にある愛する人の笑顔は、もしかしたら遠く地球の反対側のブラジルから来たものかもしれない。あるブラジル人が、路地裏の野良猫が必死になって蝶々を追いかける姿に微笑みを浮かべる。その様を撮ったフォトグラファーがこんな決定的瞬間を撮ったんだと妻に電話する。妻は旦那がこんなに嬉しそうだなんてと、やはり思わず笑顔がこぼれる。それを庭でみていた7歳になる息子は、嬉しそうな母をみて当然自分のことのように嬉しくなる。いつもより陽気におもちゃの消防車やらスポーツカーで愉快に遊ぶ。たまたまそこを通りかかったブラジルの日常を追う日本人ジャーナリストはその小さな男の子をみて、記事のためにスクープになる悪い一面ばかりを追っていたが、本当に伝えるべき人間の側面を目の当たりにするetc….その後、あるフォトグラファーが撮った写真がある雑誌に掲載された。それはとても心休まるブラジルのある街の微笑む男の一枚だった。それを日本のある美容室の待ち時間にみた会社勤めの28歳の男は思わず微笑んでいた。「ああ、僕は日々、プレッシャーやら成果のみに気を取られて数多のプロジェクトを単に進めて来てしまった。こういう笑顔たちのために僕は働きたかったんだ。」その時から彼は仕事に愛情を持って臨むようになる。そのかつての熱血漢な兄を久しぶりにみた妹は、嬉しさのあまり、今、目の前の愛するあなたに満面の笑みを浮かべて兄を自慢げに話しているのだ。

いささか強引ですが、無くは無いと思います。ちょっと話はずれたかもしれませんが、意識するだけでモノゴトはいくらでも価値を帯びそうです。ちなみにこれはスマイルトラヴェルと言われています。極内輪で。

今できること、例え今見えるものがいかに些細であっても、僕は床を掃くのです。愛する人、人々のために。

koko Mänty (kissa)            成重 松樹

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