コクヨのフィールドノート:2017年3月17日(木)

これからここに綴られるのは、ある男の手記です。その男のコクヨのフィールドノートは国立の科学博物館のオリジナルなもので、サーモンピンク色をしている少し特別な仕様です。そこには、急に思いついたアイデアのようなものが殴り書かれていたり、何かの象形のような記号のような絵が描かれていたりしているのですが、その中に二つ、日付のふられた日記のようなものが綴られています。

2017年3月17日(木)のものと、2017年4月20日(木)のもの。

ここに出てくる話は、本当にあった話かもしれないし、その男の作り出したものかもしれない、あるいは、その男が存在するのかしないのか、それも定かではないけれど、とりあえずのところ、まず、2017年3月17日(木)のお話を彼の文体を損なわない程度に修正しつつ、ここに綴ろうと思います。

2017年3月17日(木)

今日、二度目の「たかが世界の終わり(グザヴィエ・ドラン作)」を観たあとに、山崎博の「偶然」を写美(東京都写真美術館)で観て、決して地元の海を思い出すようなことはなかったが、水平線について思わず心を奪われてしまった。

ただ、焦る心があった。大事なことを忘れてしまっていたからだ。「家族」がテーマの映画を観たにも関わらず、だ。

そして、祖母に電話をした。

祖母は何も変わっていないように思う。決して変わっていない。畑に行ったり、山に行ったり。あの頃と何も変わらない口調で僕に話しかけてくれる。

でも、実際に、今もあの頃も何を話していたのだろうか。何世代も離れた僕らに、どんな話題があったのだろうか。祖母がしてくれていたのは、心からの心配だろう。

祖母は電話の最後になって、何度も何度もお礼を言った。「ありがとう。ありがとう。」と。それは、これまで子供の頃にはなかったように思う。僕が今まで聞いた、どの「ありがとう」より優しい温度の、ささやくように、そして、決して力がこもっていないわけではない、ありがとうだった。長い歴史から来るありがとうだった。まさしく、40年前に述べたありがとうが、今ようやく辿り着いた、といったようなありがとうだった。これが決して最後ではない。だけど、僕は涙を溜めずにはいられなかった。

祖母の声を聞きながら、何度かシャッターを切った。少しの感傷と打算を持って切られたシャッターだ。露出も大概に、何が写っているだろうか。もちろん、撮ったのは僕だし、今日の内の話だ。忘れているわけではない。でも、それを見る僕は未来の僕だ。

I AM SO HAPPY TO BE HERE,

ここに・いられて・わたしは・うれしい (きくち ゆみこ)

ありがとう、またあいましょう。必ず元気で「ON」ちゃんの顔を、声を、出合ってほしい。

koko Mänty (kissa) ~森へ~ 成重 松樹 Matsuki Narishige

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