家族ノアル風景〜あの素晴らしい愛をもう一度〜

今回の記事はもう一ヶ月ほどずっと書こうと思っていたのに、忙しかったわけでもなく、ただうまく書くのには“ちょうどいい時間”というものがみつけられなかったのでした。いざ書き出してみると、そのことは僕の生み出した問題でしかなく、“書いている時”こそが書くのには“ちょうどいい時間”だったようです。こんな風に後回しにしてきたあらゆる問題は、案外そういうもなのかもしれないですね。

これは、或る家族の風景です。

子供のころの“家族”という枠組みは、ほとんどの場合、当たり前として存在し、否応なくはめ込まれ、そして、その権力を遺憾なく発揮するものです。そして、いつしか(一見)独立し、家族の時間が思い出と変わり、とにかく社会の中で一応のプライドに溺れ、いつしか家族は“書面のような義務”みたいなものへとなってしまっていたのではないかと、いささか言い過ぎてはいるけれど心を締め付けてしまいます。近代“医療”は益々僕たちの哀しい予感を最小限に抑えてくれています。しかし、今や、そこいらの風邪ぐらいでは市販のお薬の服用で済ましてしまうことすらあります。そのこと自体は決して悪いことではありませんが、そこに至るまでのなにか丁寧に生きていくという、その一所作の欠陥を感じずにはいられないのです。僕たちはそのチャンスをただ便宜的にこなしているだけのかもしれません。あらゆるものが便利になり、いつの間にか心慮に欠ける振る舞いが生まれてしまっているのかもしれない。

子供は旅立ち、巣立つのは宿命みたいなものです。世界の距離は、時間的にみても、境界的にみても益々縮まりました。それと反比例するかのように家族との実質的な距離は離れてしまっていったように思います。

しかし、最近なんだか世界が変わり始めたような、心地よい予感みたいなものがこの辺りで感じられませんか?家族の在る風景。

それは7月の雨の多いころでした。

− 彼は僕に、「勉強しろ、勉強しろ」と言っていた。きっとまた来るよって、力強く不安とともに手を握りしめてくれた。−

僕はきっと、いろんなことを置き去りにして、簡単に答えのみを掲示するような生き方をしてきてしまったんだなと思わずにはいられませんでした。

− 彼は大好きな海を身近に感じれているだろうか。−

今日も、白い部屋の中で彼は忘れないで生きている、それはいつでも感じていたいです。

“街”は変わりいくものですが、僕の街への“想い”は変わらないものです。

子供のころから変わらないもの。初詣の場所もそうです。実際にはお寺なのでしょうが、子供には関係ない。名称はまだ記号の価値しか持たない時分です。今回は夏になってしまいましたが。ここも変わらないもの。

(長姉に似ている)

−雷鳴轟く夕立、土砂降りの中、幼稚園、小学校と通った通学路を探索した(写真はまた後日)。大人になって、服を纏ってこんなにも気持ちよく雨にうたれたことはなかったんじゃないだろうか。まるで世界が“YES”をくれたような心地さえした。−

僕たちはちょっと“頑張り”すぎているのかもしれません。高校のころの部活動の恩師が、生徒が毎日計る体重計に書いていた言葉「顔晴れ!!」。

明日顔が晴れますように。

家族のことを想いながら。あの素晴らしい愛をもう一度。

koko Mänty (kissa)        成重 松樹

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