透明なビール、透明な言葉、もし世界が透明だったなら。

皆さん、こんにちは。久しぶりの更新で、最早、“皆さん”が誰を指すことになるのか、それはもしかしたら、2ヶ月後に読み返す僕や、1年後、2年後、10年後読み返すかもしれない“僕ら”を指すのかもしれない。と、こちゃこちゃと始めることで、始めることの緊張感を少し弱めてみています。今年の7月はとにかく暑くて、しゅわしゅわと炭酸水ばかりを浴びるように飲んでいます。H2OとCO2(正確には水素イオンと酸素イオンと二酸化炭素でしょうか?)。それがわずか数ミリの透明な幕に覆われて意味を保っている。中身も透明。全くの透明を私たちはそのラベルなりを(完全に)信用しているのです。なぜかこの頃、透明の飲料が増えています。透明のフルーツ味の水、ヨーグルト、コーラ、コーヒー、果てはビール。その内、透明なバナナ、透明なお肉、透明なiPhone(これはありそう)、透明な会社(これは多分ある意味もうある)、透明な政府(お願いします)、裸の王様。

先日まで、銀座のエルメスの最上階メゾンエルメスフォーラムで「ミルチャ・カントル展」が催されていました。そこでは、“あなたの存在に対する形容詞”をテーマに幾つかの作品が展示されていて、その一つに透明なプラカードを持って東京のあらゆる場所を特段まとまりを感じない老若男女が行進している映像作品がありました。普段見慣れたメッセージ性の強いプラカードよりも、何故か痛烈に訴えかけてくる何かを感じてしまいました。これはもちろん国民の権利の一つであるデモ行進をとやかく言うための比較などではなく、むしろその本質を見逃していたことに気がつかされたのでした。普段のデモ行進ではその全体の熱気や群衆としてのうねり、そういったパワーに力強さを感じるものですが、本来は、目に見えない権力という透明なものにフィジカルを使って目に見える形にしたデモ行進そのものがデモ行進という機能なのかもしれません。

ずいぶん前にここにも綴ったことがあるのですが、昔まだ20歳やそこらの頃、以前の職場に所属して勤めていた頃のことです。スタッフの誰が悪いとか、そういうことではなくて、やはり、仕事というものに従事しているとつまらなく感じてしまうようなことがありました。その根本の原因はなんなのか。そんなことを考えていました。これは多分この社会の全体の何かです。まだアシスタントの僕はカラーのカップを持つヘルプ(旧時代的ですが意外と役には立つ。が、鏡が賑やかすぎる)をしていた時、ふと頭にこんな考え(イメージ)が降ってきました。「あれ?もしこのお店の壁が透明で、隣のオフィスも透明で、なんだったら外は大草原で、、あれ?なんだ、いいんじゃない?いつだって走り出していいんだ。カップ持って、わーーーーって走り出しても良い自由を僕は本当は持ってるんだ。」(何故か)裸で駆け出す僕が頭をよぎったのです。もし世界が透明だったなら。

とにかく透明のプラカードは僕に強烈なメッセージを浴びせかけたのです。私たちは日頃、目に見えないあらゆる透明な権力、決まりごと、慣習などに気がつかぬ内にはまり込み、そして、目に見えやすいものの方に引っ張られ、そこにこそ何か問題があるのだと囚われてしまっているのかもしれません。

もし学歴が透明だったら、もし肌の色が透明だったら、もし国籍が透明だったら、もしジェンダーが透明だったら、私たちはどのようにして大切な人たちを認めていくのでしょうか?そもそも、私たちは、一体何に囚われているのでしょうか?しかし、実際には世界は多様性に満ちています。世界はカラフルで、美しさや汚さに満ち満ちています。満ち満ちているのです。濃い緑があったり、枯れてゆく緑を失った黄土色、黒ではない土の色、艶やかなピンクや黄色、空、ビルの窓に反射して射す太陽の青い光、産業廃棄物の流れ込んだ海の泥ついた淡い苔のようなグレー、周りに浮く赤、青のように光る黒、鯨の泳ぐ北極海の海、氷河の青い白、深雪の白、爪の間に入った赤茶色の土、血の赤、肌の色、iPhoneの青い光。もちろん空気の透明もある。それも多様性だ。これはまさしく皆が言うように宇宙の奇跡です。

2、3ヶ月前の話になりますが、娘が一歳になったばかりの頃、うちはもう少し授乳を続けていて、今やほとんど就寝中に起きることもなくなってきたのですが、それでも1、2度は授乳したくて寝ぼけながら訴えかけてきます。ぐっ、ぱっ、ぐっ、ぱっ、と右手拳を握り開きし、おっぱいのベビーサインを駆使して訴えかけてくるのです。そんな時はさすがに、僕が抱いても泣き止まず、妻に受け渡します。すると、途端に泣き止むのです。そして、その時の顔をつい見てしまったのです。彼女は笑っていました。それも、とてもいい顔で。まだ、おっぱいを飲んでいないのに、「ああ、これでもう大丈夫」と言わんばかりに、彼女はおそらく安心を手に入れたのです。一歳ばかりのこんな小さな体で頭で、繰り返される経験から未来を予想し、完全に未来に来るであろうことを自分のものとしてすでに喜びを感じていたのです。それは、とても衝撃的なものでした。僕は、その時ようやく“今ここ”ということを理解したような気がしました。僕のこれまでの“今ここ”はわりと間延びしていて、わかってはいたけれど、日々の繰り返しの中で今日とか明日が粘着して、ビヨーンビヨーンとアメーバみたいな感じでした。でもその時、突き刺して来たのです。まさしく“今ここ”とは、突き刺すようなその一点、触れるか触れないかの限りなく近づいた一点、微分的その瞬間なのです。私たちが、喜びや、不安や、痛み、悲しみ、怒りを感じる時、それはいつも未来、場合によっては過去にあるものだということに気がつかされました。例えば、注射の痛みや不安は常に未来にあり、刺される痛みは瞬時に過去になり、のちに不安が来るとすれば、「もう一本打ちます」と未来を教えられた時。痛みの継続すら、まだ“続く”という“終わりのないマラソン”のような未来から来る不安を感じているような気がします。また、心の痛みや、悲しみ、怒りは過去から来ることが多いように思います。つまり、ここで言いたかったのは、“今ここ”にはなんにもない、ということです。まっさらな状態で常に“今ここ”はやってきて、通り過ぎているのです。全ては過去や未来にあるのです。だからこそ、私たちは完全に自由です。“今ここ”をどのように生きるか、何を感じ、何を選ぶか、何を言うか。私たちは“今ここ”しか生きることが叶いません。しかし、“今ここ”は永遠に通り過ぎてゆくため、見ることのできないパラドックスを抱えています。それで人々は、星を眺め進む方向を決め洞窟に壁画を残した時代から、その“今ここ”を確かに見ようと、芸術を愛して来たのではないでしょうか?音楽に、舞、文学、写真に絵画、あらゆる芸術が担ってきた人々の夢。それはもともとは私たち一人ひとりの手の中にあったものです。誰が何を作り、感じて行こうともそれ自体が私たちの幸福であるべきなのではないのでしょうか。しかし、今世紀に入ってますます、美術界は権威の中にどっぷりと浸かり、権力や世相に注意を向け公共の救いであるはずの美術館すら権威そのものになってしまっていることもある気がします。という真面目ぶった問題提起はさて置き、そんなことを一歳児に教えられてしまったのです。赤ん坊というのは、本当に示唆に富んでいます。特に言葉を話さないこの時期は特別です。彼女たちはずっと話してるよ、というかもしれませんね、透明な言葉で。

koko Mänty (kissa) ~森へ~ 成重 松樹 Matsuki Narishige

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