僕の腕時計はカシオ

最近ブログの更新が月に一度になって来てしまいました。まるで月刊誌。

皆様お久しぶりです。どのような夏をお過ごしですか?暦はすっかり残暑を告げ、刻一刻と次の季節の下ごしらえを始めていることでしょう。地下の工房からふと見上げるかむろ坂の木漏れ日は、ちらちらと賑やかで、どこかそよそよと涼しげですらあります。はい、でも暑いです。知ってます。最近のはなんだかモンスーンという感じですね。「太陽とシスコ・モンスーン」

少し話は戻りますが、このブログ、書き出す前は何を書こうかな、なんて思っているのですが、書き始めてみると(その善し悪しは別として)案外書き終えてしまうものです。ただ書いている最中も何処にたどり着くのかわからないままなのですが、なんとなくタイプする手が段々と踊るように楽しくなってきます。かたかたというタイプ音、さわさわと半開きの窓から聴こえる草の音、虫の音、車の排気音。佐川さんは今日も汗を光らせ、全てが僕の身の回りの「日常」を育んでくれています。

誰かがそっと肩を押すように、僕らに囁いてくれました。

「幸せはなるものではない、感じるものだ」

僕の腕時計はロレックスではなくカシオだけど、僕の周りには、愛するもの、ものもの、つくりたいもの、そして何より無敵の想像力がある。どうも幸せなわけです。

つぶあんパンと、氷を抜いたアイスコーヒー、晩夏、午後、ちらちらと陽光浴びる消火栓、赤。

物事というものは取り組んでみて初めて出合い、合点のいくこといかないこと、生むこと失うこと、その様々を得ることができるようです。営むということ、育むということ、おそらくは陽を浴びることに意味がありそうです。水分補給も忘れずに。

koko Mänty (kissa)     成重松樹 Matsuki NARISHIGE

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