前々から気になってはいた。と言うよりも、薄々分かっていた。そして、かねてよりのその疑問を今日解消してみせた。やはり、雑誌「coyote」は休刊になっていた。
なぜ随分先延ばしにしてきた問題とこのタイミングで向き合うハメになったかと言うと、大したことではない、バックナンバーを読んだからだ。それは2007年頃のもので、翻訳者・柴田元幸さんの特集となっている号である。つまりそれを読み返して、やはり面白いと思ったのだ。調べるには十分な動機だ。どうやら急遽というような感じであった。見えない時代の何かを突きつけられたような心地だ。残念である。coyoteは、故星野道夫さんや、柴田元幸さん、池澤夏樹さん、ホンマタカシさん、石川直樹さん、吉本隆明さん、谷川俊太郎さん、そしてありあまる天才アラーキー氏などなど気になる人々がいつも顔をのぞかせている楽しい雑誌だった。
読み返したバックナンバーの一節に“惜しむ”という言葉が心地よく漂っていた。あくまでもそこから受けた僕の心象だが、うまくいくことばかりではなく、うまくいかないことや、間違った選択、失敗、そういったものがあるからこそ初めて大切なものとして時を惜しむことができる。確かに、 惜しむとは、微妙な精神の居所を行き来していて、とてもバランスがとりづらく、それが反ってひとに心地よさをもたらすのかもしれない。失ってしまったと気付く、傷つく心は、それが大事なものだと知っているからであって、失う前と失った後のちょうど間のところにこそ惜しむべき儚き美しさが秘められているように思うのだ。僕は桜の時期が待ち遠しくなった。その一節の最後にはこうも書いていた。「惜しむとは“愛しむ”とも書くらしい」。この、人の豊かさを感じていたい。キワメテヨイフウケイ。
koko Mänty (kissa) 成重 松樹