コクヨのフィールドノート2:2017年4月20日(木)

男の手記にはもう一つ続きがある。もちろんそれが続きなのか、まったく違う世界の物語なのか、その男に聞く以外知りようもないことなのだが(モノゴトというものはそういうものなのかもしれないが、、)。

このコクヨのフィールドノートは、アメリカ資本の大手通販会社でも気軽に入手可能なものなのだが、ピカソだか、ゴッホだかも愛用したとされるヨーロッパのどこかの国の手帖よりも小振りで携帯性に非常に優れている(だけどモレスキンは僕も愛用している)。おまけにやや厚手のハードカバー仕立てで、フィールドノート銘に恥じず、屋外でのとっさのメモやスケッチに台紙無しでも嬉しい仕様になっている。濃緑色のどこか黒板を思い起こさせる表紙に「FIELD NOTEBOOK」とシンプルな金字で箔押しされているのが厭味がなくて、このノートが愛されている何よりの理由だろう。

その男は、おおよそのメモを筆ペンでいかにも走り書きらしく、豪胆に書き殴っている。至極解読に苦心させられてしまうが、この二つの日付の打たれた日記のような手記は、幸いにもボールペンで丁寧に綴られており、そこからもこの文章の存在がその男にとっても重要なことがわかる。2017年4月20日(木)の手記は次のようになっている。

2017年4月20日(木)

何故か、妊娠が発覚してから、久しぶりに筆を執った。日記もその日から書かなくなってしまった。何か意味があるのだろうか?いや、おそらく意味なんておおよその場合、無いに等しい。そこに見出すかどうかに結局過ぎないのだろう。つまり、心は常に揺れ動くけれど、世界は一定の中にある。そういうことだ。

しかし、まるで風船の内側から良く尖った針で突き通すように、その“一定”の皮膜を突き破ったのが、2017年4月17日(月)A.M.7:04のことだ。

それは、表現として、世界が瓦解し、再構築するというタイプのものとは全く異なっていて、それは何ら変わらぬ世の中の流れにおいて、突如として、誰にも気がつかれずに、全く新しい世の中で生きることになったかのような、まさしくパラレルワールドへの招待状のような出来事だった。

成重 穏(おん)、2600gの女の子の誕生だった。

その瞬間を迎えるまでの妻の奮闘は壮絶なもので、ドラマティックと言ってしまっていいものか、「あの妻が、、」と、とにもかくにも感動せずにはいられなかった(すごくありきたり、まさしくクリシェな表現だけれども)。あの部屋、あの空間を満たした、響き渡った、あの母になりゆく咆哮は、心地よく、いま噛み締めてみても、僕の目頭を熱くする。あの波はきっと、羊水のそれと同類の調和があったように思う。

まだ一様の、青の張りつめた明け方、その“時の流れ”は、まさしくアインシュタインの言うが如く変動的であり、その場特有のものがあった。あるいは、我々があちらこちらに偏在していると言った方が正しいのかもしない。たしか、3回か4回の特別な咆哮のあとに、まさしくこちらを向いて、その子は誕生した。そして、間もなく(本当に“間”も無く)産声をあげたのだ。闇も深まった特別な時間の誰もいない日本庭園で、時折響く獅子脅しのように(※1)、この世界に決して無礼ではなく、そして遠慮もない、正しい音(声)だった。こういうには拙くて辛いが、かわいい声だった。

外は、障子越しからカーテンの隙間に漏れる目一杯の朝日で満ち満ちていた。その病室は都会のビルの一室だから、決して爽やかな川のせせらぎ、鳥のさえずりとはいかないが、美しい朝だった。(外の景色を実際に観たわけではないけれど)中目黒はきらきらしていただろう。この世界は今日も輝くことを決して忘れない。我々はようやく出合った。再び出合った。そして、ようやく戻ってきた。これがこちら側の世界だ。まるで他人事のように進んでゆく世界。しかし、これは確実に彼女自身の世界の訪れなのだ。我々の人生は一つの紬と紬となって布を織りなし、いつか覆うものとなるのだろう。それが家族なのだろうか。きっとそうなのかもしれない。それは生きてみれば良いことだ。

そして、僕は昨日(4/19)ひとりで外出をした。バスに乗って自宅に戻った(その病院は夫も宿泊できる)。その時バスの中で僕は、これまでとは全く変わらないように見える世界の中で、全く新しい僕として、春の陽射し(季節外れの暖かさ)をさんさんと浴び、道と光の起伏に揺られながら、きらきらと通り過ぎてゆく光のような各々の人生、何の前触れも無く現れ消えてゆく匿名の声たちを、改めて発見し、世界は再び輝いていることを知った。

思い出す度に、私は新しくなる。

この目に映る/本当に美しいものを/この世界に再び私は/目にしたいのだ。

※1原文では日本庭園ではなく、ヴァイオリンを使って例えられていたが、いささか春樹が過ぎるという日本国政府の指針に基づき、“和”をモチーフとし修正した。

回りくどくなりましたが、我が子の誕生のご報告をさせていただきます。出産当日の日も、またその前後のご予約の際にも一部のお客様にはご都合していただき、本当に助かりました。おかげさまで無事我が子の誕生を迎えることが出来ました。本当にありがとうございました。上記手記では至極個人的な文章であったため気を悪くなさる方も、あるいはいらっしゃるかもしれませんが、どのようにご報告すべきか迷い、その時の気持ちのまま、綴らさせていただくことにしました。これから働き方等変わってゆく事もあるかとは思いますが、より精進して参りますので、引き続きココマンテュ(キッサ)を何卒よろしくお願いいたします。

koko Mänty (kissa) ~森へ~ 成重 松樹  Matsuki Narishige

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