
と、書いたのは、実は一週間ほど前。そこまで書いてそのままになってしまっていました。そして、今日も雨。しかし、随分ときは季節を次に次に進めていて、今日の雨はまだ、じめじめするところもなく、とても爽やかで心地の良い風も届けてくれています。京都では(先日聞いた話)今でも72(ぐらい)の季節を分け、感じているのだとか。そういう風に日々の変化を感じることができれば、きっと毎日はただ流れたりはしないのかもしれませんね。
最近、(ある種)とらわれているテーマがあります。観たい世界を視る力、物語る力。前回も書いた“特別なリモコン”もそうだし、あらゆる物事、事象は一見同じ結末のようであっても、見方、感じ方が異なるだけで、随分違うものになるようです。
デンマークの「裸の王様」という有名な童話のことを考えていたら、ふと思ったことがあります。
“王様は本当に裸だったのか?”
果たして、裸にしてしまったのは、詐欺師の仕立て屋か、人々の愚かさか。もしかしたら、あの小さな男の子だったのではないか?と、ふと思ってしまったのです。
あの子供が「王様は裸だ!」というまでは、皆必死に王様の見事な衣装を“視よう”としていました。そして、「素晴らしい!」というわけです。見えないものを視ようとして、王様は遂に(民衆によって)“見えないが素晴らしいなにか”を着ていたことになります。詐欺師の仕立て屋はそういった意味ではそのような概念を王様に仕立てたのかもしれません。(もしくは、本当に愚か者には見えない衣装を仕立てていたのかもしれませんが、、)
そして、とうとう王様を“本当に”裸にしてしまったのは、あの子供の言葉でした。僕たちは、観ようと思えば視ることができた。そういったこともこの物語は言っていたのかもしれません。
Wolfgang Tillmansはこういう風に言っていました。
“私たちは、この世界に望むものを自由に見ることができる”
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unintended LIARS → (僕なりの直訳で)“意図しない嘘つきたち”
嘘つきなのか、ストーリーテラーなのか、unintended liarとは?
観たい世界、語りたい真実。
“世間がよってたかって嘘にしようとする強大な力をものともせず、信じ通す強い力のあるものたち”
きっと彼らのことを“unintended LIARS”というのかもしれません。
あるいは「王様は裸だ!」と言った、その少年こそが。
koko Mänty (kissa) ~森へ~ 成重 松樹