君はとってもいい子だよ。


お風呂の中で、ナチュラルハウスに売っていた抹茶の米粉ドーナツを咥えてワインをちょっといただきつつ予約のメールのお返事をしながら誕生日を迎えた。
なんとなくこの頃調子が良くって(だいたい40年間ぐらい)、いいなぁという、思考や音や光のフレーズが横切ってくる。ので、涙が下まぶたからうまくこぼれないように溢れ出すのを表面張力に頼ってギリギリ泣いていない。
というのも、「人のためにする仕事(=労働)」というのをどこかで目に留め(しかもそれを子供が書いていた)、ああ、と、そうか人のためにすることが自分のためになったらそりゃあ幸せなことだな、とわりとそのことがわかりやすい仕事(美容院)に携わっていながら改めて感心させられた。はて、ならばこんなふうに「自分のため」にやっていていつか誰かのためになるのならそれも幸せなんだな、と。ああ、それが芸術か。いつしか芸術や美術と呼ばれて資本活動の中で甲乙ができて、アートはおしゃべりさんになって、そして、とうとうおしゃべりさんに語られるようになった。ならば、僕はどうするかだけだなって、思ったのです。半年以上ぶりにたまりにたまったフィルムを現像しました。ああ、天才、でした。もうこれは見せ尽くせません。天才すぎて、もう幸せでした。そうだな、これがいつか、資本者と労働者みたいな関係の仕事の思い込みを捨て、初めて労働の魅力に触れ合うみたいに、それが芸術になったらいいなあ、と。
というのも、誕生日なのでちょっと饒舌に書いてみました。自分に尽くしてそれが誰かのためになったらそりゃあ素敵なことだし、ならなくったっていい。湯船のお湯の水面に対する皮膚感覚ぐらいの感性でいたい。あ・い・ま・い。曖昧。日々の愛の味。
ナマハゲが怖い娘が言った。
「オンはいい子?」
「君はとってもいい子だよ」

koko Mänty (kissa) Matsuki Narishige 成重松樹

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